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音楽シーンを変えた沖縄ロック

沖縄ロックの歴史

沖縄ロック。この言葉を聞くと、「MONGOL800」や「かりゆし58」といった人気のロックバンドを思い浮かべる方も多いことでしょう。しかし、彼らの成功の裏には、過去に活動していた「オキナワン・ロック・ミュージシャン」たちの並々ならぬ努力が隠されているのです。そこで今回は、沖縄ロックの歴史や人気を集めたロックバンドについてご紹介しましょうね。

沖縄ロックが生まれる前の1950年代・60年代、一世を風靡したのが「ジャズ」でした。ジャズの演奏家たちはタキシードに蝶ネクタイ、エナメルの靴を身に着け、基地の高級クラブで演奏していたと言われています。

そんなジャズが低迷した後に生まれたのが「ロック」です。ベトナム戦争時代の1960年代〜70年代にかけて主流の音楽として親しまれ、米軍基地内にも多くのロックバンドが誕生しました。特にコザ(現・沖縄市)の街はベトナム景気に沸いており、ベトナム帰還兵が集まるBC通りやゲート通りのAサインバーでは、ドル紙幣がドラム缶に詰め込まれていたと言われています。沖縄ロックはこのような状況の中で誕生し、ベトナム戦争で気の荒れた若い米兵たちによって、沖縄のロッカーたちは鍛えられていきました。

その後、1970年代には「紫」や「コンディション・グリーン」、80年代には「サンディエゴ」がデビューを果たしました。この年代でデビューしたミュージシャンの中には、今もなお活動を続けている方も多くいます。

エレキギター/イメージ画像

人気を集めたロックバンド

ここからは、沖縄ロックに名を残したロックバンドを3組ご紹介。

沖縄ロックの中心的存在として、多くの人々から愛されていたのが「紫」です。1970年に結成され、キーボード担当のジョージ紫を中心に、イングランド出身のハードロック・バンド「ディープパープル」から多大なる影響を受けて、日本人離れしたロックを繰り広げました。

1975年には、アルバム「MURASAKI」でメジャーデビュー。翌年の76年には2作目の「IMPACT」を発売し、北海道から九州にわたるライブツアーを実施しました。沖縄ロックの先駆者として、今もなお語り継がれています。

先月、俳優の桐谷健太が主演する映画『ミラクルシティコザ』の製作発表記者会見が、沖縄市内にあるライブハウス セブンスヘブンコザで開催されました。この映画は、沖縄コザが舞台のタイムスリップコメディー。そして、本作のテーマのひとつが、「オキナワン・ロック」。紫のメンバーは楽曲の提供や音楽のサポートを行なったほか、出演しているメンバーもいるので、来年の公開が待ち遠しいところである。

紫のオフィシャルサイトは

ミラクルシティコザの情報は

紫の楽曲/Mother Nature´s PlightYouTube Musicはコチラ

 

コンディション・グリーン

1970年代、「紫」と人気を二分していたと言われるのが「コンディション・グリーン」です。「ブルース」や「サザンロック」を取り入れた豪快な演奏で米兵から人気を集めました。人間タワーを作って演奏をしたり、ステージ上でヘビや鶏の頭を食いちぎるなど、ド派手なパフォーマンスを行うバンドとしても注目されました。1977年に発売した「LIFE OF CHANGE」、79年の「MIXED-UP」は後続バンドに大きな影響を与えたと言われています。

YouTube Musicはコチラ

 

ハートビーツ

1979年に那覇市で結成されたロックンロールバンドの「ハートビーツ」。これまでハードロックの印象が強かった沖縄ロックのイメージを変えたバンドとして有名です。19829月には、アルバム「DANCE THE NIGHT AWAY」でメジャーデビューを果たしました。

ギタリストのジョニーは「ジョニー宜野湾」と改名し、現在はイベントやTVなどで幅広く活動中です。ヴォーカルのSHYも全国各地でソロ活動をしております。1980年代を彩った沖縄のロックバンドとして、今もなお多くの人々から愛されています。

2015年のハートビーツの一夜限りの復活ライブのYouTube Musicはコチラ

いかがだったでしょうか。今回は、沖縄ロックの歴史や人気を集めたロックバンドについてご紹介しました。今回の3バンドの他に、80年代にはサンディエゴ、マリー・ウィズ・メデューサといった実力派が相次いでデビューしました。日本のロックシーンはもとより、音楽シーンに大きな影響を与えた沖縄ロック。今、改めて聞き直しても、十分に楽しめる曲ばかりですので、ぜひ、チェックしてみてはいかがでしょうか。

イメージ画像

 

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