グルメ
泡盛を水割りにするワケ

泡盛を水割りで飲む理由とは
ファーストフード店などでポテトを頼むと、ケチャップが自動的に付いてきます。そのポテトにケチャップが付いてくるのと同様に、泡盛のボトルには問答無用で「水割りセット」が付いてきます。沖縄では、泡盛を水割りにすることが多いと思います。みんなで泡盛を飲む時に「ロックで」と言うと感心されるくらい、水割りがスタンダードです。
なぜ沖縄では水割りを好むことが多いのか?
これには大きく2つの理由があると考えます。
1)新酒と水割り
私たちが普段飲む泡盛は「新酒」が多いです。新酒は人間で言うと「新社会人」のようなものだと思います。見た目は大人でも、心はまだ思春期を引きずっている子供のような。ポテンシャルはあるけど経験が足りなくて、うまくいかないことが多いような。
新酒はその若さ故に、古酒に比べて「荒ぶっている」ことが多いです。(「尖っている」「角がある」という言い方もしますね)この荒さの要因はいくつか考えられると思いますが、主にアルコールのビリビリとした刺激によるものでしょう。口に含んだ直後にくる「カアアア…!」という穏やかでない辛さ。
新酒のエネルギッシュな主張を額面通りに受け止めると(濃いまま飲むと)、その強い荒さが邪魔をして、彼の持っている良い面がわかりにくかったりします。そして、酒の辛さが不快に感じたら、その不快感から早く逃れたくなるのが普通で、味わう余裕がなくゴクンと飲み込んでしまいます。しかも飲み込めば終わりではなく、食道を通る時も辛い。最初から最後まで辛い。というように、若い泡盛は「ただキツいだけ」の印象を持たれることが多いと思います。
しかし、水割りにすることで、ただの荒くれ者だと思っていた若い泡盛も印象が変わります。水と泡盛は、イチャリバチョーデー(出会ったら兄弟)という言葉を体現するような親和性があるのです。
水分はアルコールの辛さを包んで、飲み口をまろやかにしますし、泡盛はたくさんの水に混じっても味や香りがボヤけにくい、タフな酒質を持っています。辛さが和らいだ泡盛は、元々持っていた「味」が感じやすくなり、度数が下がった分だけ飲みやすくもなっている。そのため、水割りを美味しく感じる人が多いのではないでしょうか。(ロックやストレートで新酒の美味しさを理解できる人は尊敬に値します。鍛錬を重ねたか、そういう才能に恵まれていたか、どちらかでしょうから…!)
2)飲み会の長さ
沖縄の飲み会は長時間になることが多かったです。かつての私の経験では、日付が変わる前に終わることは皆無で、2時、3時が当たり前でした。この飲み会がなかなか終わらない原因は、
・ゆったりとした県民性
・「終電が近いからそろそろ」みたいな時間の締め切りや、帰るきっかけが少ないこと
・自分から「もう帰ろう」と切り出せない気の優しさ
などが挙げられると思います。
飲み会がある日は長期戦になるのがわかっているので、仕事が終わったらまず家に帰り、戦の準備をします。お風呂で身を清め、しばらく会えなくなる家族との別れを惜しみ、なんなら少し腹ごしらえをします。そして、安息の地で平和なひとときを過ごしている間に、何となく士気が下がり、このまま戦場に行かず、逃げ出すべきではないかと考え始めます。しばらく悩んで、やはり仲間は裏切れないと意を決し、兵士は戦場に赴くのです。相棒の「酒豪伝説」をポケットに忍ばせて…笑。(こうして沖縄の人は集合時間に遅れます)
とにかく、飲み会が長期戦なので、ロックで飲んでいると最後までもたないのです。フルマラソンを走らないといけないので、経験を積んだランナーほどペース配分を図ります。水の割合で酒の濃さを調整しながら。
沖縄の飲み会では、「最後の一杯」という言葉を信じてはいけません。お開きの雰囲気を醸し出しても、ほとんどがフェイクです。最後の一杯から、「乾杯ループ」が始まります。
じゃあ最後に一杯ずつ飲んで帰ろう→酒を注ぐ→お喋りしながらゆっくり飲む→最後に乾杯して終わろう→酒を注いで乾杯→閉会の挨拶やお喋りしながらゆっくり飲む→じゃあそろそろ終わろうか→酒を注いで乾杯→また会おうねとか言いながらゆっくり飲む→今日はどうもありがとう→酒を注いで乾杯→やたら握手とかしながらゆっくり飲む→乾杯して終わろう→(以下省略)
乾杯でみんな立ち上がっても、いつの間にか座ってます。なんだか沖縄の人は、酒が好きと言うよりも、「酒の席」が好きなんじゃないかと思います。明日のことは明日考えたらいいさあ、ナンクルナイサー、って言える開放的な空間。その楽園のような心地良さにずっと浸っていたい…みたいな。
そして、楽しそうに飲んでいる人がいると、内心は帰りたくても最後まで付き合ってあげる方が多いのでしょうね。最後の方は水の水割りで乗り切って完走を果たす人もいます…。だから、サキジョーグー(酒好き)の人は、周りの気遣いに気付いて、まだ楽しみたくてもお開きにする配慮が大事だと思います。…大人として。
以上のような理由から、多数の沖縄人が泡盛を水割りで飲んでいると思いますが、泡盛は「水割りが正解」とはなりません。むしろ飲み方を決めてかかるのは、泡盛の楽しみ方として勿体無いと思います。
水割りには水割りの良さがあって、同様にオンザロックにも、湯割りにもソーダ割りにも、その良さがあるでしょう。その銘柄と、その場面と、一緒に飲む人と、その日の気分で、柔軟に飲み方を変えてもいいんじゃないでしょうか。もしかしたら新しい発見があったり、いつもより楽しくなるかもしれないですし。泡盛は、割った割らないくらいの違いで、本来の味が損なわれるヤワな酒ではないと思います。
沖縄が島外の色んな文化を受け入れてきても、沖縄らしさを失ってないのと同じように。チャンプルーにしてもゴーヤーはあくまでゴーヤーであるのと同じように。
くれぐれも、お酒は二十歳になってから。
沖縄料理に最適な泡盛をレコメンドしてくれるオススメのお店
「土香る」 詳しくはコチラ
(補足)
◉泡盛に水割りセット:沖縄では泡盛をグラス単位で注文することは少ないですね。ボトルか合取りで頼見ます。たとえ、一人でも。
◉荒ぶっている:新酒に含まれるエタノールは、エタノール分子同士が集合した状態、いわゆるクラスター(会合体)になっているそう。エタノールは塊が大きいほど、舌で感知する際にビリッという刺激も大きくなるので、新酒の味は辛く感じる。しかし熟成(時間経過)によってエタノール分子のクラスターが解かれていき、細かくなったエタノール分子のそれぞれを水分子が取り囲んだ状態になるため、刺激が和らぎ味がまろやかに感じるようになる。
◉飲み会の長さ:この2年は、もちろん、コロナによる自粛続きではありますが、とは言っても昨今の沖縄でも長時間の飲み会が少なくなってきているような気がします。ネット社会となった、時代の変化なのでしょうね。
◉ナンクルナイサー:大丈夫、なんとかなる、という楽観的なニュアンスで使われる言葉。ケセラセラみたいに。でも本来は、ナンクルナイサに【マクトゥーソーケー(誠をすれば)】という枕詞があります。本当は「正しい行いをしてれば、成るようになる」という沖縄の格言。人事を尽くして天命を待つ、みたいに。
◉サキジョーグー:〇〇好きのことを〇〇ジョーグーと言います。名詞の後には何でも付けることが可能だが、食べ物の場合が多い気が。酒ジョーグーの次によく耳にするのが沖縄そば好きの「すばジョーグー」。