グルメ
泡盛とタイ⽶の蜜⽉の関係

タイ⽶の日本史
泡盛の原料は、主に「タイ⽶」です。必ずそう決まっている訳ではなく、実際に国産⽶や県産⽶の泡盛もあるのですが、ほとんどの泡盛がタイ⽶から造られています。タイ⽶と⾔えば、⽇本はタイ⽶と深く関わった過去があります。
30 年ほど前、⽇本は「冷夏」と呼ばれる異常気象により、⽶の不作で⼤騒動になりました。スーパーなどでは⽶を買い求める⻑蛇の⾏列ができ、価格が数倍にも⾼騰し(10kg で 1 万円以上にもなりました)、転売⽬的の買い占めや、売惜しみなどで、⼤混乱が起きたのです。
⽶不⾜に対応しようと、⽇本はそれまで制限していた⽶の輸⼊を解禁します。必要な量の⽶を輸出してくれる国がなかなか⾒つからない中、友好国のタイが、好意で⾷料⽶を⼯⾯してくれました。しかし、⽇本からの要望が急だったため、輸⼊された⽶は余剰分の「B級品」で品質が悪く、さらに⼀部はカビてたり、異物混⼊があったりで、味や安全性について⼤きく報道され、社会問題になりました。何より、タイ⽶は⽇本⽶とは品種が異なる「硬質⽶」なので、⽇本のお⽶と同じ感覚で扱うと美味しく炊くことができず、パサパサしているし、独特の⾹りがあるし、「タイ⽶はまずい」というイメージが広がってしまいました。
そのため折⾓輸⼊したタイ⽶は⼤量に売れ残り、政府も⼩売店もなんとか消費させようと、国産⽶との抱き合わせ販売を⾏ったり、タイ⽶と国産⽶を混ぜた「ブレンド⽶」が主流になったりしました。テレビでもタイ⽶が何かと話題になり、ワイドショーでは連⽇「タイ⽶を美味しく⾷べるレシピ」が放送されていたりしました。⼦供だった私も、給⾷や家庭で出てくるタイ⽶にブーブー⾔いながら、我慢して⾷べていた記憶があります。その後、⼀年ほどで「平成の⽶騒動」は収まったのですが、この出来事はかなり印象的だったので、当時を経験した⼈は今でもタイ⽶に対して懐疑的なイメージを持っているのではないでしょうか? そんな不遇のタイ⽶ですが、泡盛とは切っても切れない関係があります。
泡盛とタイ⽶の運命の出会い
泡盛の原料にタイ⽶が定着したのは、昭和以降のことです。それまでは特に原料の産地が定まってなく、県産⽶、内地⽶、周辺国の⽶など、様々な地域の原料を使⽤していました。昔の農業は現代よりも天候に⼤きく左右されたので、どの国も年によって豊作、凶作があったようです。そのため、時期によって仕⼊れる原料の産地を変えていました。
明治後期までは、県産⽶や、唐⽶(とうぐみ)と呼ばれる⽀那(中国)や朝鮮の⽶を使うことが多かったらしいのですが、それらの⽶の価格が⾼くなり始め、代わりになる安価な仕⼊れ先を探していたところ、ついにタイ⽶と運命の出会いを果たすことになります。泡盛を造る際、原料に菌を加え繁殖させる「製麹」という過程があります(お酒の品質を決める⼀番重要な⼯程とされています)。製麹時、均等に菌を繁殖させるために何度も混ぜる必要があるのですが、⽇本⽶のようなモチモチとした原料は混ぜにくく、労⼒が掛かるし、発酵のムラができやすいのが悩みでした。
しかし、その点、タイ⽶はサラサラして混ぜやすいので、作業が楽で、製麴⼯程がスムーズに進む。さらに、他の⽶に⽐べてロスが少なく、同じ量の⽶でよりたくさんのお酒が造れる(歩留まりが良い)。そして、タイ⽶から造った古酒はなんか良い⾹りがする…。そのうえ、安い。
その「タイ⽶が素晴らしい」という噂は、酒造所が集中していた⾸⾥・那覇に瞬く間に広がっていきます。⼀度タイ⽶を使った酒造所はその優れた特徴から⼿放せなくなり、どんどん定着していきました。琉球王朝時代から数百年、様々な種類の原料でお酒を造ってきた結果、ついに「泡盛に⼀番適した原料はタイ⽶である」と判明したのです。
本⼟復帰での苦難
それ以降、濃密な間柄になった泡盛とタイ⽶ですが、沖縄がアメリカから⽇本に復帰する際、この関係に危機が訪れます。本⼟の法律では⾃国の⽶農家を守るために輸⼊⽶の制限があり、⽇本復帰後はタイ⽶を使⽤するコストが跳ね上がってしまうのです。沖縄は「タイ⽶を普通に輸⼊させて欲しい」と農林省・⾷糧庁に陳情しますが、国からは「本⼟では⼤量の余剰⽶があり、⽣産制限している状況である。余って古くなった⽶があるのだからそれを使えば良い」と輸⼊を拒否されます。
しかし、沖縄はタイ⽶を諦めるわけにはいかないので、戦前から泡盛にタイ⽶が使われてきた歴史的背景を資料付きで⼒説します。その沖縄の熱意が通じ、そこまで⾔うなら試してみようと、⽇本⽶とタイ⽶で造った泡盛の⽐較試験を⾏うことになりました。
そして、国税庁の酒類専⾨官が⽴ち合う中、実際に⽇本⽶で泡盛を造ってみると、やはり泡盛の製造⼯程では軟質⽶は扱いが難しく、⽶の粘度が⾼すぎて混ぜる機械が壊れるなどの問題も発⽣しました。意地で何とか完成させた酒の味も、従来の泡盛とは違うものになったようです。その結果、「本⼟⽶の使⽤は技術的・酒質的に難しい」と判断され、めでたく沖縄はタイ⽶の輸⼊許可をもらうことができました。「泡盛にはタイ⽶が適している」と公的にお墨付きを得た瞬間でした。
泡盛にとって、かけがえのない友
その後、タイ⽶は購⼊ルートが確⽴され、安く仕⼊れることができるようになりました。国の許可を得た貿易業者がタイから⽶を⼤量に輸⼊し、それを沖縄の酒造組合がまとめて買い取り、各酒造所が必要な分を購⼊する、という仕組みで、近年までは国産⽶の 10 分の 1 程度の価格でタイ⽶を仕⼊れられたそうです。タイ⽶を使うことで原価が下がり、販売価格も抑えられるため、庶⺠は泡盛を安く買うことができます。所得が低い沖縄の⼈が気軽に酒を飲めてきたのも、タイ⽶のおかげだと⾔えるかもしれません。昭和からの約 100 年間、泡盛の歴史はタイ⽶と共に歩んできました。⽇本の⽶が美味しすぎるので、海外の安い⽶が原料と聞くと悪いイメージを持ってしまうかもしれませんが、タイ⽶は現代の泡盛を確⽴した⽴役者なのです。近年は製造技術の向上により⽇本⽶で造る泡盛も出てきたり、沖縄の⽶で泡盛を造って⾏こうという計画も進んでいます。しかし、これからも、泡盛にとってタイ⽶は永遠のドゥシグァー(友達)であり続けるのではないかと思います。
沖縄料理に最適な泡盛をレコメンドしてくれるオススメのお店「土香る」
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(補⾜)
・タイ⽶はまずい:タイ⽶は「麺」のようなもので、それだけで⾷べるものではない。カレーやチャーハン、汁気の多いおかずと混ぜて⾷べる。⾷べ⽅が違うだけで、⽇本の⽶より美味しいとタイの⼈は怒っていた。現在では、⽇本の⾷⽂化も広がり、ケースバイケースでタイ⽶を選ぶことも⼀般的に。
・タイ⽶の売れ残り:⽶不⾜騒動が収束した時点で 100 万トンの在庫が残ったという。それらは廃棄されたり、家畜の肥料にされたり、泡盛に使えるため沖縄に回されたりした。
・昔の泡盛の原料:⽶が⾜りない場合は先島(宮古や⼋重⼭列島)や南洲(台湾の⼀部)の「粟(あわ)」が使⽤されていた。しかし、粟だけで泡盛を造ることはできず、多くても半々の割合だった。
・なんか良い⾹りがする:タイ⽶は⿊麹菌と相性が良いらしく、製造過程で「フェルラ酸」という酵素を多くつくる特徴がある。このフェルラ酸は蒸留の際に「4-ビニルグアヤコール」という成分などに変化して、熟成とともに古酒の良い⾹りの元になる。
・タイ⽶は歩留まりが良い:タイ⽶は⽇本⽶に⽐べて糖質(澱粉質)が多く含まれるため、発酵の際にアルコール収穫量が多くなる。
・沖縄の熱意
正確には「琉球酒造組合連合会(現在の沖縄県酒造組合)」の熱意。
瑞泉酒造の先代・佐久本政淳が先頭に⽴ち、泡盛業界の未来を守るため尽⼒してきた。
<参考文献>
「泡盛とともに 佐久本政敦自叙伝」/佐久本政敦
「泡盛の文化誌 沖縄の酒をめぐる歴史と民俗」/荻尾俊章
泡盛ゆんたく vol.1:泡盛の熟成の鍵を握るモノとは?
泡盛ゆんたく vol.2:新たな流れを作った泡盛